人の治癒能力を信じろだと?

御無沙汰してます。

連日の睡眠不足が祟ったのか、
数日はくたびれて画面に向かう気持ちになれませんでした。
書きたい気持ちはあったので悔しかったですが、
子どもとの時間と本を読むことを優先してしまいました。

週末は、初めての土曜日授業や
読み聞かせボランティアの説明会、
個人面談と買い物、部屋の掃除などで
慌ただしく過ぎていきました。

担任の先生は、話しやすい方で安心しました。
こちらから尋ねると、しっかり答えてくれるので助かります。
病気のことも伝えました。
「お子さんにはどのように伝えているのですか?」と細かく訊いてくれてありがたかったです。
(実際は、伝えるも何も、医師がさ……)

買い物は、
ズボンの膝がいくつも破れてしまったので
子どものズボンを見に行ったのですが、
最初は、これなんかどう?と私が見せてたはずが、いつの間にか自分で選んで一人で試着室に入って着替えていて、
なんだか大人だなあ、と(笑)。

子どもの方が基本的に決断力あるので、
値段との兼ね合いで悩む私をよそに、
これがいい、これに決めた!
と速いものでしたー。

母も半袖のシャツを一枚買って、
合間にたい焼きやらソフトクリームやら買い食いして、
二人で一緒に楽しんだ気分の買い物でした。


もうすぐGW。
手術を前に(まだどこで受けるかも決めてないくせに)旅行したくなっていろいろ考えましたが、
休みはカレンダー通り、
海外は今からじゃ無理、
名古屋の友人宅は仕事が入ったし、、、
と考えて半農半勤の田舎の友人を頼ってみようかと
久しぶりに電話してみたのですが。

病気の話をしたら、
タイトルのような感じになったわけです。

他人だから言えるんじゃないのかと。
誰しも一度は、切らずになんとかすることをかなり考える時期があると思うんですよね。
でも、一区切りつけて気持ちを固めるわけで。

がんだって聞いてすぐそういうこと言うのは
あまりにデリカシーに欠けるんじゃないかと。

本人がこうしようと思う、と打ち明けてるんだから、
そうなのか、と聞いて欲しかったと思い、
勝手にショックを受けている私はワガママなんでしょうか。

家族や友人は時にそう。
欲しい言葉を、相手を選んで引き出せるように話せればいいだけのことなんだろうけど。

いま
『生きるための乳がん』読んでて、
「家族や友人からの助言は大変役立つ一方で、あなたのストレスを増やしかねません。
医療専門家チームを頼りましょう。」
と書いてあるのを見つけたので、
ちょっと書いてみました。